自己紹介

自己紹介①

はじめまして!たけです。ブログ見にきてくれてありがとう!

いつもインスタ投稿しているけど、今後はブログも更新していくのでストーリーズで公開していくね!

たけは、正直インスタではアルゴリズム観点やアカウントBANされないよう気をつかって発言していたので、正直ポイズン現象でした(笑)(言いたいことも言えない)

インスタはできるだけ文字数少なくしてわかりやすくを心がけていたので、いわゆる引き算思考だったけど、ブログは情報量を多くする足し算思考で自由気ままにゆる~く書いていくね(笑)

まずは、ちゃんと自己紹介していなかったので、たけって誰やねん?っていう生い立ちからざっと書くので、時間があるときにでも読んでくれたら嬉しいです。

※ちなみにダラダラと書いていたら結構長くなったので、読むの時間かかるかも...(笑)

たけの幼少期~大学まで

たけは1987年生まれでギリ昭和世代。大阪の豊中市で誕生。

転勤族だったので大阪から茨城の水戸へ、さらに広島へ引っ越して幼少期を過ごしました。

わりと茨城はこんな感じの田舎でのびのびと過ごしました↓虫をひたすら追いかけてた(笑)

小学校3年生で広島から神奈川県横浜市に引っ越しして、それから高校生までずっと横浜市に住んでいました。

小学校のときは転校して仲良い友達と別れるのが寂しかったけど、すぐに転校先でも友達ができたのでわりと引っ越しは好きでした。

転校生ってクラスで紹介されるとき、なにか特別扱いされてる空気感があって、それが気持ちよかったりもした(笑)

小学校から高校までガチでサッカーをやっていたので特に勉強もせず、親からも一言も勉強しろって言われたことはなく、自由奔放に生きていました。

将来やりたいことあんまないなぁー、大学どうしようかなぁーって考えていたとき、たまたま手に取ったハリーポッターに爆ハマりして方向性が見えてきた...!

あ、海外にはこんな面白い本があるんだ!って思って、もっと面白い本を読みたいって思って大学で英語を学ぼうと思ったよね(←超単純)

高校3年生の夏ぐらいから、半年間勉強をガチって青学の英文科に合格し、よし!大学生から渋谷と表参道にある青学でキャンパスライフを楽しむんや!って思ってたんだけど...

1、2年生は淵野辺っていう東京の端っこの方にある(神奈川県)に通うことになるって入学直前に知ったよね(←アホやった)

大学の授業で英文学を学んだけど、思っていたのとちょっと違うなと思って、授業はほどほどに塾講師のバイトに明け暮れてました(笑)

塾講師のバイトをして140万貯金ができたので、大学3年生から二子玉川周辺で一人暮らしをはじめました。

部屋ってこんな簡単に汚れるんだ、、、料理作るのってめちゃ大変なんだなって思って、当たり前のように掃除や料理をしてくれていた母親には感謝しなきゃなって一人暮らしをはじめて実感した。

大学3年生ではオーストラリアに語学留学して、ホームステイ先で現地の家族と留学生のスイス人女性、中国人男性と一緒に住んで交流していました。

スイス人女性の話すスピードが異様に早くて、make donuts(ドーナツつくる)って言われたと思ってキッチンで手伝おうと思ったら、急に外にでることになって、そのままマクドナルドに行ったよね。

make donutsとMcDonald'sを完全に聞き間違えた(笑)

大学3年生に就職活動が始まって、将来あんまやりたいことなかったので、とりあえず年収高くて安定している大企業に入っておこうって思って、総合商社を受けたんだけど余裕で全滅(笑)

5社受ければどこか1社受かるだろうって正直ナメていたよね...

それでどうしようかなって思っていたときに、スローガンっていう会社のGoodfindっていうセミナーに参加して人生の転機があった。

当時の社長が、

『大企業行くやつって、イケてないよね』

『安定を会社(外)に求めるのって、ただ会社の看板を借りてるだけだよね』

どこでも通用できる人(内)になるのが真の安定だよね』

みたいなことを言われてグサッと刺さった。

将来は個で稼いで独立したいっていう思いがあったので、どこの会社でも通用できるスキルを身につけたいと思って探した結果、市場が拡大しはじめていたネット広告の企業を受けて内定がでて就職先がようやく決まった。

社会人1年目~3年目

社会人1年目は、超ハードワークで週1~2徹夜当たり前、毎日デフォルトで深夜0時まで働いていたので、人生で一番きつかった時期...

深夜の0時過ぎに仕事が終わって、そこから先輩とラーメンと餃子食べてビール飲んで、夜中の3時くらいに帰宅して寝て朝9時前に出社みたいなことを永遠と繰り返していた(笑)

1年目なのにいきなり20社ほどクライアントを担当することになって、業界もバラバラだしクライアントも部長クラスとか、役員レイヤーのひとが多くて、社内外でガチでしごかれてたので苦い思い出でいっぱいです...

毎日HP(体力)を削りながら、引き換えに経験値とお金をトレードしていたけど、さすがに辛すぎて1年目から会社辞めてやるぜ!って思って転職しようと思ったんだけど、あまりにも仕事が忙しすぎて転職活動もままならず...

一旦、今の会社でとにかく実力をつけて結果を出してやりきるしかない!って思って、社会人3年目まで記憶があまりないぐらい働いていました(笑)

仕事は超ハードでガチブラック企業に入ってしまった!と思ったけど、周りの先輩たちの人の良さもあってなんとか続けられました。

仕事に疲れたときは、リフレッシュで1週間くらい休暇をとって、国内外を一人で旅していました。

1番印象的だったのは10日間くらいロサンゼルス、ラスベガス、メキシコに旅した時だった。

ロサンゼルス着いて街歩いていたら、ファンキーな兄ちゃんが話しかけてきて、

「どこから来たの?」「You、英語うまいね」「音楽活動してて、コレ俺のCDだから名前書いてプレゼントするよ!」

って言われてCD渡されて、サンキューって言って立ち去ろうとしたら、

「ちょっ待てよ、5ドルだ!」って言われた(笑)

「コレ返すわ、いらねぇ」って言ったけど、もう名前書いてるから無理だからみたいに突っぱねられて、

結局5ドル払った(笑)早速、ロスの洗礼を受けたよね。

たけの目的のひとつとして、ラスベガスでカジノをする!があったので、ロサンゼルスからラスベガスに移動してホテルの1階のカジノでルーレットやテキサスホールデムを3日くらいやってました(笑)

ラスベガスは夜中も明るくて、毎日がエレクトリカルパレードみたいで凄い楽しかったし、すべてのホテルの1階にカジノがあるので、カジノのはしごがし放題だったよ(笑)

せっかくラスベガスきたから、カジノ以外もやろうと思って一人でシルクドソレイユを鑑賞したけどガチで感動した!

本場のエンターテインメントを感じたよね。

あとは、カジノ以外にやりたかったこととしてグランドキャニオンに行くこと!

圧巻すぎて、普段の仕事の悩みが鼻くそくらいに感じたよね。

バスのツアーで行ったんだけど、みんな家族や友達と観光していたので、一人でだいぶ気まずかったけどね(笑)

最後に、メキシコのティファナっていう治安の悪い地域にも行ったんよ。

ティファナは麻薬カルテルによるトラブルが結構多いみたいで、治安があんま良くないみたい。

アメリカからメキシコに入るときは、こんな感じのゲートで入れたんだけど、メキシコからアメリカに戻るときはガッツリ検問があって、麻薬犬がたくさんいたよね(笑)

メキシコで医薬品や日常品を買い込んで、でかいトランクケースに詰め込んで並んでるひとが多くいた。

大通りは安心だけど、脇道入ると危ない感じのオーラを凄い感じた。

※ハンターハンターでいうと、ヒソカがゴンやキルアに念を放出して通せないようにしている感じ(笑)

帰りの検問は、すごい並んだけど、日本のパスポート見せるとほぼチェックされずに秒で通してくれて、「あっ、日本ブランドってすごいな」って実感した。

社会人3年目~6年目

話がすこし脱線したけど、社会人3年目になると結果が徐々にでてきて給料も増えてきたので、目黒に引っ越して家賃13万のマンションを借りて、毎日飲み歩いていました。

会社の後輩とも週3くらいで渋谷や恵比寿、目黒、中目黒あたりで飲んでいたので、まー金がなくなるなくなる(笑)

給料日までお金が持たないときは、必殺技のクレジットカード払い!にしてその場しのぎで耐えて、常に自転車操業で生きていました。

社会人1、2年目は先輩に奢ってもらうことが多かったけど、その代わりに後輩ができたら先輩から受けた恩を返すみたいな風潮があったので、後輩たちにガチでゴチっていました。

※たけの同期はすでに辞めていたので必然とたけが後輩たちに全ゴチ。

さすがに給料の3割くらいは家賃に消えて、さらに後輩たちに奢っていたので貯金する余裕もなく、このままではマズイなって思っても固定費を下げることを決心。

5年目で中目黒のシェアハウスで家賃6万のところに引っ越して固定費を下げることに成功。ぶっちゃけ会社で仕事するか、店で飲んでいるかだったので、家は寝るだけの機能で充分だった(笑)

仕事はずっとハードワークを続けていたけど、こんな生活がいつまで続くんだろう?って思って、ついに会社に査定のタイミングで辞めますわ!って少し切れ気味でぶつけた(笑)

最終的には役員から猛反対されて個室で3時間くらいマンツーマンで説得されて心が折れた(笑)。

一旦、会社を辞めずに継続することになったけど、多少待遇が改善されたのと、副業NGだったけど特別にOKもらった背景もあって本業と副業の二刀流生活をはじめました。ただ大谷翔平みたいにうまく機能するわけもなく...

仕事は相変わらずハードだったけど夜の22時過ぎには終わらせて帰宅して、23時ぐらいから深夜1時~2時まで副業ガチって、朝7時に起きて9時ぐらいまでガチってから出勤するっていう生活を1年くらい続けました。

副業で稼いでさっさと仕事を辞めてやるぜっていう負のモチベーションがえげつないくらいあったので、大変だったけど夢中になって続けられました。

社会人6年目~9年目

副業は最初の3か月くらいはほとんど結果がでず、時給換算で数十円くらいのレベルでした(笑)

1年くらい続けてやっと、月3万~5万くらい稼げるようになって、1年半で月20万くらい、2年ちょっとで月100万達成することができました。

確定申告は自分でやったので税金や経費について調べて知識を増やしていきました。

自宅を仕事場としていたので家賃按分(やちんあんぶん)っていう、家賃の4割程度(仕事で使っているスペース)を経費にしたり、同じアフィリエイト仲間との交流会や仕事で使うパソコン、本などすべて経費にできたので個人事業主っていいなって思った(笑)

サラリーマンだと会社の給料から勝手に税金を引かれて支払われるけど、個人事業主だと自分の収入から経費をいくらぐらい使おうかなって自分で調整できるので最強だなって思った。

副業で自分で稼ぐ経験をすると、精神的に余裕ができたし(いつでも辞めてもok)、ライティング力もつけることができた結果、本業でめちゃくちゃ結果が出せるようになり、会社からも評価されて給料も上がるっていう好循環になっていった。

※だからサラリーマンは副業必須にしたほうがいいと思ってる(笑)

給料も増えたし、従業員持株会っていう制度で給料から指定した株数の金額を引き落とされてストックしていく制度があったので、先取り貯金みたいなこともできたし、後輩からの飲みの誘いも上司をうまく巻き込んで自分ひとりで奢らないように気を付けた結果、貯金もどんどん貯まっていった。

貯金も増えていったので株式投資(一般NISA中心)をはじめて、

本業×副業×株式投資で資産をつくっていった。

副業のアフィリエイトは安定的に月50万前後は、なにもしなくても入ってくる感じになり、本業も楽しくなってきたので一旦副業の時間を削って、しっかりと本業と向き合うことにした。

ネット広告の業界なので、アフィリエイト広告はもちろんのこと、デジタル広告(FacebookやInstagram、LINEなど)も取り扱って、各企業の広告費をどこのチャネル(媒体)でいくら使って何件獲得をするか?

などマーケティング戦略の立案&実行を幅広い業界でこなしてきたので、マーケティング力も身についていった。

新規営業でもバンバン受注できるようになって社員総会では毎回のように表彰されていて、裁量権もあって自由に働かせてもらっていた。

仕事も順風満帆にいっていた中、突然母親から電話があって父親が急に頭が痛いっていって倒れて意識がなくなり救急車で運ばれたって連絡がきた。

自己紹介②へ続く